秋田地方裁判所 昭和56年(ワ)141号 判決 1985年4月15日
原告 三浦一郎
右訴訟代理人弁護士 深井昭二
同 塩沢忠和
被告 男鹿市農業協同組合
右代表者理事 杉本滋
右訴訟代理人弁護士 柴田久雄
主文
一 被告が昭和五六年二月二七日原告に対してなした同年三月一日から同月一〇日までの一〇日間の出勤停止処分は無効であることを確認する。
二 被告は原告に対し金一五万五三一〇円及びこれに対する昭和五六年三月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一項同旨
2 被告は原告に対し金五五万五三一〇円及びこれに対する昭和五六年三月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 右2項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 被告は農業協同組合法に基づき設立された法人であって、昭和四四年四月一〇日、旧脇本農業協同組合(以下「旧脇本農協」のようにいう)等六か所の農協が合併して成立した。
(二) 原告は、昭和四三年一一月旧脇本農協の職員として採用され、その後の農協の合併により被告の職員となり、同五四年九月三〇日から同五五年六月三〇日まで農産課々長補佐、同年七月一日から同五六年三月三〇日まで総務課長を務めた。
また、原告は、総務課長となった当時、秋田県内の農協職員で組織する秋田県農業協同組合労働組合(以下「農協労」あるいは「組合」という)の組合員であるとともに、同組合本部書記長及び被告の職員で構成される農協労男鹿市分会(以下「分会」という)の分会長でもあったが、総務課長に発令された後一旦農協労を脱退し、その後昭和五六年一月に再び農協労へ加入申込をして、同年二月四日同組合によって加入申込の承諾を得て、現在も農協労の組合員である。
2 懲戒処分とその効力
(一) 被告は、昭和五六年二月二七日、原告に対し、同人には被告の就業規則五五条一項三号の「正当な理由なく上長の指示に従わないとき」に該当する事由があるとして、同年三月一日から同月一〇日までの一〇日間の出勤停止懲戒処分(以下「本件出勤停止処分」という)を科したが、その具体的事由は、同五一年一一月一七日付被告と農協労間の和解協定(以下「本件和解協定」という)第一項により、被告の課長職は農協労の非組合員とされているところ、原告は前記のとおり課長職にありながら、自ら農協労に加入し、かつ、原告と同様非組合員とされている他の職員に対し、農協労への加入勧誘を行い、上長が右の行為をしないように数回注意を与えるもこれに従わなかったというものである。
(二) 被告は、昭和五六年三月一日から同月一〇日まで、原告の就労を拒否し、かつ、同月二〇日に支給すべき賃金から、右期間中の賃金五万五三一〇円を減額し、これの支払をしない。
(三) しかしながら、原告には、農協労への加入や他の職員に対する農協労への加入勧誘をやめるようにとの上長の指示に従うべき義務はなく、従って原告がこれに従わなかったことには正当な理由があるうえ、原告の右行為は正当な労働組合活動であるから、使用者である被告によるその妨害は組合活動への支配介入というべきである。
よって、本件出勤停止処分は、懲戒権を濫用してなされたものであり、また、不当労働行為でもあるから、いずれにせよ違法・無効である。
3 不法行為
(一) 被告は、原告に対し、前記のとおり違法な本件出勤停止処分を科した。
(二) 原告はこれにより甚大な精神的苦痛を被ったが、これを慰謝するには少なくとも金五〇万円を必要とする。
4 なお、本件出勤停止処分は原告の将来における昇給や昇進にも影響するので、その無効確認を求めることには確認の利益がある。
よって、原告は、被告との間で本件出勤停止処分の無効確認を求めるとともに、被告に対し、未払賃金五万五三一〇円及び慰謝料金五〇万円並びにこれらに対する賃金支払期日の翌日で本件出勤停止処分がなされた後である昭和五六年三月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の(一)、(二)の各事実は認め、(三)は争う。
3 同3の(一)の事実のうち被告が原告に対し本件出勤停止処分を科したことは認めるが、その余は否認ないしは争う。(二)の事実は否認ないしは争う。
4 同4は争う。
三 抗弁
原告には正当な理由がないのに上長の指示に従わなかったという懲戒処分該当事由があるから、本件出勤停止処分は有効である。
1 懲戒処分該当事由
(一) 原告は、昭和五五年一二月二九日、その勤務時間中総務課長の地位を利用して被告が所有管理するコピー機械とコピー用紙を使用して職制に対する農協労への加入勧誘パンフレットを作成し、これを被告の課長、支所長、待遇職に配付した(原告の右行為を、以下「第一次行為」という)。
(二) そこで、被告の加藤豊蔵組合長、佐藤巌雄専務が原告を呼び、同人に対し、右行為は総務課長としての職責に反するので今後はやめるようにと注意を与えた(加藤組合長らによる右注意を、以下「本件指示」という)。
(三) ところが、原告は組合員の範囲に関する農協労の組合規約が改正されたのを奇貨として、昭和五六年一月一日農協労への加入申込をしたうえ、同月六日、その勤務時間中再度前同様の行為をなした(原告の右行為を、以下「第二次行為」という)。
(四) 本件指示は後記のとおり正当なものであるから、これに反する原告の右(三)の第二次行為は、被告の就業規則五五条一項三号の「正当な理由なく上長の指示に従わなかったとき」に該当する。
2 本件指示の正当性
(一) 総務課長
(1) 総務課の分掌業務は、職制規程上、庶務、文書、人事の三つ及びこれら業務に関する調査研究、必要な統計資料の作成、課内文書類の整理保管、所属職員の就業管理等に分類される。
総務課長はこれら事務の統轄者であるばかりか、採用志願者の銓衡が行われる企画会議の構成員であり、また人事規程上は一般職員に対する人事考課の第一次考査者である。
(2) 以上のような権限に基づき、歴代総務課長は実際に人事異動の草案を作成し、人事異動に関する協議に参画して打合せを行う等の事務を担当してきたほか、慣行上、裁協労との事務折衝を行い、農協労からの文書を受理し、これに対する回答書を起案し、これら文書を保管し、農協労との団体交渉の際には使用者側の交渉員として出席してきた。
(3) 原告も、総務課長就任後、職員の惹起した交通事故報告の受理、いわゆる三六協定の伺い起案、各種給与手当などの支給伺い起案、辞令伺い起案、人事異動発令伺い起案、退職願の受理、農協労からの文書受理等の業務に従事してきた。
(4) 以上のような権限とその実際の業務からみて、被告の総務課長は、使用者である被告の立場に立って、労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのため、その職務上の義務と責任とが、農協労の組合員としての誠意と責任とに直接抵触する監督的地位にある労働者であって、いわゆる使用者の利益代表者である。
なお、本件和解協定中には課長職は非組合員と規定されており、同協定は課長職がその職責からみて使用者の利益代表者であることを労使双方が確認のうえ締結されたものであるから、労使双方がこれを遵守すべきは当然であって、この点からみても、被告の総務課長が使用者の利益代表者であり、同職にある者が組合活動をなし得ないことは明らかである。
(二) 原告を総務課長に任命した経緯
(1) 被告は、昭和五五年七月一日、職員に対する定期人事異動を行い、加藤組合長が原告に対し総務課長を命ずる旨の辞令を交付したが、原告は直ちに右辞令を被告の参事宛返還した。そこで、加藤組合長は、佐藤巌雄専務理事と共に、原告に対し、適任者と考えて総務課長に任命したこと、組合運動を続ける心算なら辞令を受けなくてもよいことを伝えたが、これに対し原告は考慮期間として一週間位の時間の猶予を求め、被告が右期間後に確認するや、農協労と相談中なので少し待って欲しい旨述べた。原告は、その後被告から郵送された総務課長の辞令を受領し、同月一二日に実施された部課長月例検討会に総務課長として出席し、同月一四日には総務課長席に座り、前任者との事務引継を了した。更に、原告は、佐藤専務に対し、農協労書記長の後任者に事務引継ぎをする必要があるので後任者の決定するまでの暫くの間書記長の仕事を続けることを認めてくれるよう申し入れてその承諾を得、同月一九日ころ、同専務に対し、農協労を脱退して総務課長の職務に専念するからよろしく指導して欲しい旨挨拶し、同月三一日には農協労に脱退届を提出し、爾来前記のとおり総務課長としての職務に専念してきた。
(2) このように被告は、原告のこれまでの組合活動歴を考慮し、その承諾を得て同人を総務課長に任命したものであり、その意向を無視して一方的に発令したものではなかった。
(三) 右のような被告における総務課長の監督的地位や原告が最終的には自ら納得して総務課長の辞令を受け、その職務に専念してきたという経緯に照らすと、原告の前記1、(一)の第一次行為は総務課長としての義務と責任とに抵触し、著しく信義に反するものであって、これを放置すれば職場秩序が乱れることになるから、加藤組合長や佐藤専務が原告に対して与えた本件指示は正当な上長の指示というべきであり、原告にはこれに従う義務がある。
3 それにも拘わらず原告は第二次行為をなしたもので、原告は、「正当な理由なく、上長の指示に従わなかったもの」というべく、被告は企業秩序保持の必要上、被告の就業規則に基づき、原告に対し、本件出勤停止処分を科したのである。
四 抗弁に対する認否及び反論
抗弁冒頭の結論は争う。
1(一) 抗弁1の(一)の事実のうち、原告が加入勧誘のパンフレットを配付した年月日及びその作成につき総務課長の地位を利用したことは否認し、その余は認める。
パンフレットを配付したのは昭和五五年一二月二六日であり、勤務時間中のことであったが、この程度の組合活動は従前被告の方でも黙認してきたものであり、またその作成にあたってコピー機械等を利用するについては使用料を支払ったのであるから、これらの点に関する上長の本件指示は失当である。
(二) 同1の(二)の事実は認める。
なお、注意を受けたのは昭和五五年一二月二九日の部課長会議の席上である。
(三) 同1の(三)の事実のうち、農協労への加入申込が組合規約の改正を奇貨としてなされたこと、パンフレットを作成・配付した年月日、それが勤務時間中であったことは否認し、その余は認める。
パンフレットを作成・配付したのは昭和五五年一二月三一日の午後であって、勤務時間外である。
(四) 同1の(四)は争う。
2(一)(1) 同2の(一)の(1)の事実のうち各規程中に所論の記載があることは認める。
(2) 同2の(一)の(2)の事実のうち総務課長が農協労からの文書を受理し、これを保管すること、農協労との団体交渉の際、その場に出席することがあったことは認め、その余は否認する。
総務課長には、人事関係の中心である職員の採用、配置、解雇、異動について権限がなく、更に給与、賞与等については立案の権限すらない。また、事案によっては、総務課長が農協労との団体交渉の席に出ることがあるが、その出欠は自由であるし、出ても使用者側の交渉員としてではなく、その単なる補助者としてである。
(3) 同2の(一)の(4)は争う。
被告における総務課長は、その名称によって一般に考えられるような地位とはかけ離れており、所論のような統轄者でも監督的地位にあるものでもなく、使用者の利益代表者とはいえない。
また、本件和解協定は、農協労において、昭和五四年一一月二〇日、被告へ到達の書面で同協定一項(非組合員の範囲を定めたもの)を破棄する旨の意思表示をなしており、同日から九〇日を経過した同五五年二月一九日をもって右条項は失効した。仮に右条項が未だ失効していないとしても、これにそもそも農協労の組合員の範囲を画する効力はないし、殊に組合員個人を拘束するものではないから、いずれにせよ同協定を根拠にして、総務課長職にある原告の組合加入や組合活動を制限することはできない。
(二)(1) 同2の(二)の(1)の事実のうち加藤組合長が原告に対し組合運動を続ける心算なら辞令を受けなくてもよい旨伝えたこと、原告が佐藤専務に対し後任者が決定するまで暫時書記長の仕事を続けることを認めてくれるよう申し入れたこと、総務課長の職務に専念するからよろしく指導してもらいたい旨言明したことは否認し、その余は概ね認める。
原告は、その考慮期間中に被告から郵送されてきた辞令を一旦は送り返したのであるが、再度郵送されてきたのでこれを受領した。また発令後も被告と農協労との間で原告の組合員としての身分問題について交渉がもたれてきたが、昭和五五年七月一六、一七日ころには、原告が課長になりながら農協労にとどまる場合には懲戒処分をするとの強圧的対応を打ち出してきたうえ、当時分会としては夏期手当の要求という重要な課題をかかえており、被告には原告の分会長としての押印ある要求書を受け取らない旨の態度がみられ、受付問題でもめて団体交渉ができないという懸念もあったので、原告は同年七月一九日分会長を辞し、次いで同月二一日被告の参事に対し、農協労内で原告の組合員としての身分問題について討議して結論がでるまでの間農協労から脱退する旨説明し、同月三一日付でその旨の脱退届を農協労へ提出した。
(2) 同2の(二)の(2)は争う。
右(1)で述べた経緯から明らかなように被告による原告の総務課長への任命は強圧的なもので、原告はやむなくこれを受諾したものであり、また原告の農協労脱退も将来再加入する含みを残したものであった。
(三) 同2の(三)は争う。
被告における総務課長はいわゆる使用者の利益代表者とはいえず、また総務課長への任命も半ば強要に近いものであり、原告が農協労を脱退したのも再加入の含みを残したものであったという前記経緯に徴すると所論の原告の第一次行為が総務課長の職責に反するとか著しく信義に反するとかいうことはできず、従って上長の本件指示は失当であって、原告はこれに従う義務がない。
3 同3の結論は争う。
五 再抗弁
1 不当労働行為その一
被告による原告の総務課長任命は、後記事情からみて、原告を農協労、分会かち切り離し、その組合活動を封じ込めて組合の弱体化を狙ったものというべきであるから、農協労及び原告に対する不当労働行為であり無効である。
(一) 原告は秋田農協労男鹿市分会長、農協労本部中央執行委員、本部書記長を歴任した熱心な組合員で、組合にとってかけがえのない活動家である。昭和五二年九月男鹿市分会の女子職員の定年差別裁判や被告による補佐職に対する組合脱退工作に対する闘争等を指導し、被告からいたく嫌悪されてきた。
(二)(1) 被告による原告の総務課長任命は、まず原告の年令(当時三四歳)、採用から課長就任まで僅か一一年八ヶ月という短期間(その内三年間は組合専従)等からみて前例のない抜擢である。
(2) これまで総務課長は、他の課長あるいは支所長から昇進してきている。原告が課長に就任する前の地位は経済部農産課長補佐であり、しかもその在任期間は九ヶ月であった。
(3) 原告の採用以後の職種をみても、昭和五四年九月三〇日まで営農指導員を七年五ヶ月、組合専従を三年しただけで、事務職、管理職的仕事をしたのは、前記九ヶ月の補佐職のみである。しかも組合専従者に対する被告の従前の扱いは、他と同様冷たいものであった。
(三) 任命の経緯は、前記四の抗弁に対する認否及び反論中の2の(二)の(1)、(2)で述べたとおりであり、被告は強要に近い方法で辞令の受領を求め、これを拒否すると処分も考えられた程の異常なものであった。
よって、被告による原告の総務課長への任命は不当労働行為として無効であるから、原告が総務課長にあることを前提にしてなされた本件指示は失当であり、原告にはこれに従う義務がない。それ故、原告が本件指示に従わなかったことには正当な理由がある。
2 不当労働行為その二
労働組合への加入及び他の職員への加入勧誘は、正当な労働組合活動の基礎的行為であり、使用者によるその妨害は組合活動への支配介入にあたるから、原告に対する本件出勤停止処分は不当労働行為として無効である。
六 再抗弁に対する認否及び反論
1(一) 再抗弁1の冒頭及び末尾の結論は否認ないしは争う。
(二) 同1の(一)の事実のうち原告の組合活動歴は知らず、被告が原告を嫌悪していたことは否認する。
(三) 同1の(二)の(1)ないし(3)の事実のうち原告の年令や職員歴等は認めるが、その余は否認もしくは争う。
(四) 同1の(三)の事実のうち原告が一旦辞令を返上したことは認めるが、被告が強要に近い方法でその受領を求めたこと、その拒否につき処分が考えられたことは否認する。
2 同2は争う。
第三《省略》
理由
第一本件出勤停止処分の効力
一 請求原因1、2の(一)、(二)の各事実は当事者間に争いがないので、以下本件出勤停止処分を科すについては、上長の指示違反という懲戒処分該当事由があったとする抗弁の当否について判断する。
二 抗弁について
1 当事者間に争いのない事実
抗弁1の(一)の事実のうち原告が、その勤務時間中に被告所有のコピー機械等を使用して職制に対する農協労への加入勧誘のパンフレットを作成し、これを彼らに配付したこと、(二)の事実、(三)の事実のうち原告が昭和五六年一月一日農協労への加入申込をしたこと、前同様パンフレットを作成し職制に配付したこと(但し、勤務時間中にパンフレットを作成、配付したとの点は除く)、同2の(一)の(1)の事実のうち職制規程や人事規程上総務課の分掌業務や同課長の職務権限について所論の記載があること、(2)の事実のうち総務課長が農協労からの文書を受理し、これを保管していたこと、農協労との団体交渉の際出席する場合もあったこと、(二)の(1)の事実のうち被告が昭和五五年七月一日の人事異動で原告を総務課長に任命し、その辞令を交付したが、原告がこれを返還したこと、加藤組合長らが、原告に対し、総務課長として適任と考えて任命したと伝えたこと、原告が辞令の受領について考慮のための一週間位の猶予期間を求めたところ被告がこれを了承したこと、被告が右期間後に確認するや農協労と相談中なので少し待って欲しい旨述べたこと、原告は被告から郵送された辞令を受領し、同月一二日の部課長月例検討会に総務課長として出席し、同月一四日に同課長席に座り、前任者との事務引継ぎを了したこと、原告は同月三一日農協労に脱退届を提出し、爾来総務課長としての職務に専念してきたことは当事者間に争いがない。
2 ところで、争いのない右事実及び当事者双方の主張を勘案すると、抗弁における争点は、要するに正当な理由なしに上長の指示に従わなかったという懲戒処分該当事由の存否如何であるが、更に突き詰めれば、上長の本件指示の具体的内容である三つの禁止事項、すなわち勤務時間中に労組活動をしてはならないこと、右活動にあたり被告所有のコピー機械等を利用してはならないこと及び総務課長職にある者が右活動をしてはならないことという三点について、その当否如何と本件指示に反して原告が勤務時間中に労組活動をしたか否か(本件指示に反し、総務課長たる原告が被告の施設を利用して再度右活動をしたことは当事者間に争いがない。)という点であると思われる。そこで、以下においては、勤務時間中の労組活動と右活動に際して被告の施設を利用することをともに禁じたと認められる本件指示の当否と前者の指示に違反した事実の有無、次いで総務課長職にある者の労組活動を禁じた本件指示の当否について順次判断する。
3 勤務時間中に職員が原則として組合活動をすることができないのは、労働契約上の制約から当然であるし、また職務外の目的で被告の設備、器具を使用するには被告の許可を要するのが原則であり、《証拠省略》によると、被告の就業規則上もそれらのことは明らかにされているものと認められる。
しかしながら、《証拠省略》によれば、被告の職場では従来から、職員が許可を受けることなくそのコピー機械等を職務外の目的で使用することが多くあり、しかもその使用料を支払わないことも珍しくはなかったこと、そして被告の方ではこの点について殊更職員に注意を与えるようなことはなかったこと、にもかかわらず、原告は、後日被告から労組活動にコピー機械等を無断使用したとの注意を受けたりしないよう本件パンフレット(実際は一枚のビラである。)の作成にあたっては使用料を支払ったこと、また被告内では勤務時間中に労組関係の文書を配付したり回覧したりすることも黙認されていたこと、原告は本件パンフレットを勤務の空き時間に配付したことを認めることができ、右認定に反する証拠はなく、またパンフレットの作成・配付によって原告の職務遂行に何らかの支障が生じたことを窺わせる証拠もない。右事情に鑑みると、本件の指示が勤務時間外に、その代価を払っても、本件パンフレットをコピーすることを禁じた趣旨だとすると、従前の取扱いと著るしく反し、本件の場合少なくともその点についての違反を懲戒処分の主な理由の一つとするのは相当であるとは認められない。また勤務時間中の組合活動の点については、《証拠省略》によると、原告が本件指示に反して再度パンフレットを作成して特定の者に配付したという第二次行為は、被告が主張する昭和五六年一月六日ではなく、同五五年一二月三一日の午後に行われたこと、就業規則上は同日も午後四時三〇分まで勤務時間内とされているものの慣例上同日の午後は勤務時間内とはされていないことが認められ、これに反する的確な証拠はないから、勤務時間中に労組活動をするなという本件指示に対する違反行為があったと認めることはできない。
してみると、本件指示のうち勤務時間中の労組活動を禁じた点については、その指示の当否を問うまでもなく、そもそもその違反がなかったことになり、右活動にあたり、被告所有施設・コピー機械を勤務時間外に代価を払っても利用することを禁じたとしても、これに従わなかったことを、懲戒処分の主な理由の一つとすることは相当とは認められない。
4 総務課長職にある原告の労組活動を禁じた本件指示の当否について
(一) 右の本件指示が正当であるとする被告の所論は、要するに、被告の総務課長が労働関係上の機密事項に接する機会があり、そのためその職務上の義務と責任とが農協労の組合員としての誠意と責任とに直接抵触する監督的地位にある労働者でいわゆる使用者の利益代表者というべきところ、原告はかような総務課長の職に就くことを自ら承諾したうえ農協労からも脱退し、以後その職務に専念してきたにもかかわらず、第一次行為に及んだものであって、その行為は著しく信義に反するというべきであり、これを放置することは職場秩序を乱すものであるから、これを禁ずることは素より正当だというものである。
(二) 被告における総務課長
(1) 争いのない前記抗弁事実に、《証拠省略》を総合すると次の事実を認めることができる。
ア 被告の本所におけるいわゆる役付職員は参事以下課長補佐までであり、係長職はなく、また中には課長補佐のいない課もあって、そのような課にあっては課長が最下級の役付職員であった(なお、被告における参事を除いた役付職員数は二〇数名であり、昭和五五年当時の部の数は三、課の数は一〇、支所の数は七であるところ、これらにそれぞれ長が配置されているから、結局補佐職がおかれていた課や支所は僅かであったものと推認できる。)。ちなみに、原告が総務課長に任命された昭和五五年七月当時同課にも課長補佐がいたが、同人は元々他課の課長補佐であったところ病気で休職を余儀なくされ、その課で課長補佐を補充する必要があったために総務課付にされたという経緯があった。その後昭和五七年当時になると同課に課長補佐はおかれなくなった。
イ 被告の機構上総務課長が課長職の中で最上位にあったわけではなく、他課の課長や支所長との間で地位の上下関係は格別なかった。現に支所長から総務課長になった人が再び従前と同じ支所長に復帰したという例もあった。
ウ 総務課には一五・六名の課員がいた時代もあったが、それは有線業務を分掌業務として含んでいた関係で、それに従事する職員が一〇数名いたためであって、総務課本来の業務に従事する職員は課長以下数名にすぎなかった。原告が同課長に任命された当時は、有線業務が廃止されていたため同課の職員は課長以下五名であったが、うち一名は休職中の右課長補佐であり、もう一名は同課に在籍するものの農業指導センターへの出向者であって、結局原告のいわゆる部下と呼べるのは二名の女子職員のみであった。
エ 被告の職制規程、人事規程、就業規則中には、総務課の分掌業務や総務課長の職務権限について、次の記載がある。すなわち、総務課は被告の機構上企画管理部に属し、その分掌業務は、対象において庶務、文書、人事の三つに大別され、内容においてこれらに関する事業計画の立案と実施、調査研究、必要な統計資料の作成、諸文書の整理や保管等に分類される。そして庶務関係には訴訟及び調停に関する事項、事務所の管理等があり、文書関係には文書等の受入・発送・整理・処分等があり、人事関係には職員の採用・配置・解雇・賞罰・異動・発令に関する事項、職員の給与・賞与に関する事項、役職員台帳整備・職員身元保証書の整理保管に関する事項、福利厚生・安全衛生その他人事に関する事項等がある。一方、総務課長はいわゆる役付職員として職務手当の支給を受けており、総務課の右分掌業務を課の職員に割り当て、これを指揮監督して業務を遂行するほか、他課長や支所長と緊密な連絡協調を保ち、業務遂行の万全を期し、業務遂行のために必要な事項を部長に提案したり業務遂行の結果を部長に報告したりし、更には軽微な事項に限るとはいえ、直接支所長に課長権限を行使するなどの職務権限を有し、その権限を立案・検証・決定・報告の段階を経て行使する。また総務課長は職員の採用志願者の銓衡が行われる企画会議の構成員であり、一般職員に対する人事考課の第一次考査者でもある。
もっとも右諸規程によれば、総務課長が課の分掌業務の全てにわたり立案・検証・決定・報告の職務権限を持つわけではなく、その大半は必要な資料の整備と実行の具体案の作成をする立案の権限しかなく、決定の権限を有するのは、庶務関係のうち事務所の管理や宿日直勤務の割当等、文書関係のうち文書等の受入・発送・整理・処分、人事関係のうち予算の範囲内における事業管理費の支出などに限られている。殊に庶務関係のうち訴訟及び調停に関する事項・人事関係のうち職員の採用・配置・解雇・賞罰・異動・発令や給与・賞与に関する事項、また各部・課・支所共通の分掌業務とされている機密事項の処理や表彰に関する事項等については立案の権限すらない(職制規程によればこれらも総務課の分掌業務とされており、従って上司からの権限の委任を受けるか、あるいはその指揮監督の下に右業務に携わる場合はあり得ると推認される。)。
オ 歴代総務課長は対農協労の主な交渉窓口として、農協労からの要求書、団体交渉申入書、スト通告書等の文書を受理し、これを上司に回付し、回答を要すべきものにつき、その指示に従って作成した文書やあるいは自ら起案して上司の決裁を得たものを農協労に交付してきたが、総務課長限りで回答できるものはなかった。右要求書等とその回答書は労働関係文書綴りとして、他の職員名簿、履歴書、労働者名簿等とともに、総務課で保管していたが、これらがいわゆる機密文書とされていたわけではなかった。
農協労からの団体交渉の申し入れがあると、総務課長はこれを上司に取り次ぎ、その後部長や参事らが中心となって日程を決定し、これを組合に自ら伝えたりあるいは総務課長を通じて回答させたりした。被告側の方針や態度の決定をする場に課長が出ることは殆んどなく、出ても内容に関して意見を述べることはなかった。課長も被告側交渉員の一員として団体交渉に出席し、上司の指示で資料の説明をすることもないではなかったが、ただ単に出席するだけで、発言しないことが大半であった。なお、従前は課長が団体交渉の場に出るか否かは自由であったが、昭和五四年一一月に農協労が本件和解協定中非組合員の範囲を規定した第一項を破棄する旨の通告をなし、課長も農協労に加入させようとの方針を明らかにしたころから、被告側で団体交渉の方法を変えるようになり、必ず課長を出席させるようになった。もっとも、団体交渉の場で課長が果す役割に変化はなく、従前のままであった。
労働争議時には、被告側でその対策を検討するため、組合長、専務、参事、部課長らで構成する企画会議が開かれ、これに総務課長も参加していた。しかしながら、対応措置の検討やらその決定は企画管理部長らがこれをなし、課長は上司の指示を受けて、争議不参加者の各職場への割り振りにつき、関係者に連絡するなどの補助的任務に就くことがあるだけであった。
農協労から被告を相手とする地労委への申立がなされた際、被告側では部長以上がその対応策を検討し、斡旋や審問の場にも出ており、総務課長はこれに関与しなかった。また女子職員の定年差別に関する訴訟が提起された際、被告側ではその理事で構成する企画管理委員会においてその対応策が検討され、総務課長がこれに出席したことがあったが、素より対応策の決定に関与する権限があるわけではなく、その決定時には退席することもあった。
総務課長は被告の本所建物の管理権限を有し、組合から建物使用の申し込みを受けたときには、その判断で許否を決定し得たが、実際には勤務時間外の申し込みが多く、そのような場合には建物の開閉を担当する係の人にその権限を委任し、同人の判断に任せていた。なお、組合と被告との間で建物使用の許否をめぐる紛争が生じたことはない。
カ 職員の新規採用については、企画会議で採用志望者の銓衡を行い、組合長がその採否を決定しており、総務課長は右企画会議の構成員であった。しかしながら、総務課長は、志望者から提出される書類を受理し、これを保管したり、あるいは面接会場での案内役を務めたりするなどの単に事務的な、または補助的な仕事に従事するだけであり、面接そのものを担当したわけではなかった。
一般の職員の人事異動の原案は、部長以上の職員、殊に参事が中心となって役員らと協議のうえこれを立案し、組合長が決定することになっており、その立案作業の過程において、異動対象者の属する課の課長から当該職員に関する情報や異動に対する意見を聴取することもあり、総務課長からは職員名簿に基づく説明を受けることもあった。もっとも総務課長が人事異動の全般にわたって意見を述べることはなく、素よりその原案の立案作業に参画したりその決定に関与するものではなかったし、また各課長からの情報や意見の聴取も必ず行われる程に制度化されたものでもなかった。
被告では人事規程に定められているにもかかわらず、人事考課が実施されておらず、昇給や昇格も勤務年限、職歴、学歴等から機械的に決定され、賞与も一律に支給されている。従って、総務課長が課員について、第一次考査者として人事考課を実施したことはない。なお、給与や賞与に関しては、企画管理部長が起案を担当しており、総務課長は関与していない。
キ 原告は総務課長就任にあたり、前任者の関向多喜雄から業務の引継を受けたほか、同課の一般職員薄田からその担当していた雑勘定の管理に関する帳簿事務をも引継いだ。そして就任後は、他の部・課・支所あるいは農協労などからの各種文書、例えば支所長から職員の惹起した交通事故の報告や産休届の報告、職員からの退職願、農協労から新規組合加入者の通知等の諸文書を受理し、あるいは自ら、いわゆる三六協定の締結、各種給与諸手当の支給、各種辞令の文案等について伺い起案をするなどの業務に従事してきた。なお、右文書の起案にあたっては、事前にその内容につき上司の了解を得たりその指示を受けるよう指導があり、これに従って作成していた。
ところで、時間外及び休日における労働についてのいわゆる三六協定に関し、総務課長がその協議や締結についての業務を担当していたが、その内容や締結するか否かを決定する権限までは有していなかった。
(2) 以上認定の諸事実によれば、被告の総務課長は、諸規程上庶務・文書・人事という相当広い範囲の業務に関して職務権限を有しており、しかもその中にはいわゆる人事や労務管理などという労使間で利害が相反する業務を含んでおり、現実にもこれら業務の一部に関与してきたことは否定できない。そして右業務に関しては、ことの性質上その程度はともかくとして労組に対して秘すべき機密が存することも明らかである。
しかしながら、前記のとおり、総務課長は諸規程上も人事や労務管理に関係すると目される訴訟や調停に関する事項、職員の採用・異動・給与・賞与等に関する事項、機密事項の処理や表彰に関する事項等について何らの権限もなく、ただ上司の指揮監督の下に右業業務に携わる場合があり得るというにすぎないし、その他の事項に関しても決定権限まで有するものは僅かである。そのうえ原告を含む歴代総務課長が人事や労務管理に関して実際に担当してきた職務の実態をみれば、これらに関しての被告の計画や方針の決定に関与したことはなく、ただその調査・立案・協議・決定・実施の過程において、総務課で保管する文書に基づく説明をしたり、同課職員に関する情報の提供や意見の具申をしたり、上司あるいは機関において、決定した事項について、関係者への通知・連絡や文書の起案・交付・保管をしたり、その他補助的諸業務に従事していたというにすぎない。また、被告の組織・機構上における総務課長の位置付けについてみても、他の課長や支所長との間で上下関係があったことは窺われないし、原告が総務課長に任命された当時補佐が不在であったことからみて、実質的には最も下位の役付職員であったといえ、しかもそのいわゆる部下も現実には二名いるにすぎなかったのである。そして右実情に鑑みると、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密事項に接する機会やその接し得る機密事項の内容には自ずと限度の存することが推認できるのであり、他方その漏洩が使用者である被告に対し、重大な不利益を及ぼす程度のものについてまで、被告の総務課長が接し得たものかは明らかではない。また、前記認定のような被告の総務課長の地位や職務権限に徴すると、同課長が監督的地位にある労働者といい得るかも疑問である。してみると、結局被告の総務課長がいわゆる使用者の利益代表者であるとまでいうことはできないと思われる。
従って、被告の総務課長が、洩漏によって使用者である被告に対し重大な不利益を及ぼす程の機密事項に接し得ることを前提にして、そのためその職務上の義務と責任とが労組員としての誠意と責任とに直接抵触するとし、しかも監督的地位にあるが故に、同課長が労組員となって労組活動をすることはその職責に反するので許されないとか、あるいは、労組員としての立場と相容れない総務課長の辞令を受諾しながら、その後再び労組活動に従事することは著しく信義に反するとか主張する被告の所論については、俄にこれを首肯するわけにはいかない。
なお、争いのない前記請求原因2の(一)の事実及び《証拠省略》によれば、被告と農協労との間で昭和五一年一一月一七日締結された本件和解協定の第一項には、課長職(総務課長補佐職が設けられたときは同補佐職を含む)を非組合員とする旨規定されていることが明らかであり、これは、右締結当時、労使双方の間において、課長、殊に総務課長が使用者の利益代表者であることにつき、争いのなかったことを推測せしめるものであるが、右一事をもって、直ちに同課長が使用者の利益代表者であることを推認できるわけではないうえ、《証拠省略》によれば、同五四年一一月二〇日農協労から被告に対し同条項を破棄する旨の通告がなされたことが明らかである。右破棄通告の点を措くとしても、組合員の範囲の決定は組合が自主的に決定すべき事柄であって、使用者の容喙を許さないと考えるのが相当であるから、本件和解協定中の非組合員の範囲を定めた第一項に、組合の団結の範囲を拘束するという意味での効力はなく、従ってこれを根拠に総務課長の労組加入や労組活動を制約できるものではない。
(3) ところで、右のとおり、被告の総務課長がいわゆる使用者の利益代表者とまでいうことはできず、従って労組員の立場と両立し得ないわけではなかったとしても、前記のとおり被告の労働関係に関する計画と方針に関する機密事項の一端にある程度まで接し得る立場にあり、しかもいわゆる管理職としての職務権限を全く有していないというわけでもなかったことに着目すると、原告がかような事情を知悉しながら、同課長に任命するとの辞令を受領して以後その職務に専念し、他方、自主的に農協労・分会から脱退して労組活動を辞めていたというような事情が窺える場合には、原告がその後第一次行為に及んだことについて、なお著しく信義に反するとの評価を下し得るのではないかとも考えられ、そうであれば、被告がこれを禁ずることにも正当な理由があったことになるから、以下さらにこの点について判断する。
(三) 原告が総務課長への任命を受諾した経緯及びその後の事情
(1) 争いのない前記抗弁事実に《証拠省略》を総合すると次の事実を認めることができる。
ア 原告が総務課長に任命された昭和五五年当時、被告と組合との間では、組合に対し、発令の一日前に人事異動の内示をする旨の口頭による合意があり、これに基づき被告が同年六月三〇日に内示するから来るようにとの通知をしてきたので、原告は、武藤分会執行委員とともに内示を聞きに佐藤専務理事のところに出向いたが、異動について検討を要するので翌日出直してくるようにと言われ、内示を受けることができなかった。そこで、原告らが翌七月一日再度出向いたところ、加藤組合長から原告を総務課長に任命する旨言われてその辞令を交付された。原告は従前農産課で営農指導員をしており、総務課長では職種が違いすぎること、営農指導員の人数が不足すること、組合への内示なしに任命したこと等を理由に、一旦は辞令を返還したが、加藤組合長から人事と労務対策につき原告が適任であると考えて任命した旨説明があったので、農協労とも協議のうえ辞令を受領するか否かを決めたいとして一週間位の考慮期間を求め、その旨の了解を得た。原告はその間総務課長経験者である関向多喜雄、天野三郎、古仲憲雄から総務課長の仕事内容や職務権限について事情を聞き、いわゆる管理職としての仕事が殆んどないので、労組活動との両立ができるとの判断に達した。他方、被告は同月二日ころ辞令を原告宛に郵送し、原告からその返還を受けるや再度これを送り付けていた。原告は結局総務課長への任命を受諾し、同月一二日の部課長による月例検討会に出席して総務課長として職務に就く旨言明するとともに、同月一四日には前任者の関向から事務の引継を受けてその手続を終え、総務課長の席に着いた。
イ ところで、原告は総務課長に任命された後も七月一二日ころまで、分会長として賃金表格付け問題につき被告との団体交渉に臨んでいたが、その組合員資格については別途被告と農協労間で同月一四、一六、一七日と話し合いがもたれ、その中で、被告は、原告において総務課長になった以上組合を辞めるべきであると主張し、原告や農協労は辞める理由がないと主張して平行線をたどるうち、被告の方では、組合を辞めない場合には原告を処分することも辞さないとの態度を示すに至った。右事情に加えて、当時、分会では夏季手当の要求について被告との間で交渉をしていたところ、被告の方で、総務課長となった原告が分会長として押印してある文書はこれを受理しないとの態度に出てきたため、原告はそれが原因で右交渉が進展しなくなることを危惧し、結局、同月一九日、分会長を辞任したうえ同月二一日には農協労の内部で原告の組合員資格についての結論が出るまでの間とりあえず農協労からも脱退することとしてその旨被告に伝え、同月三一日農協労及び分会に対し、同様の趣旨を記載した脱退届を提出した。
ウ その後農協労では八月二八日に原告の脱退を認めたが、それまでの間原告は農協労本部書記長として労組活動に従事した。
一一月二一日農協労大会が開かれ、組合員の範囲を定めた組合規約について、従前はいわゆる使用者の利益代表者を除くとの規定があったのにこれを削除する等の改正をした。これは、職務権限とか仕事内容からみて実質的には使用者の利益代表者に該当しないにもかかわらず、該当するかのような肩書を有する者について、従前被告との間で組合員資格の有無をめぐって紛争となることが多く、旧規定は被告に右干渉のための手掛りを与えていたこと、また右のような肩書の者が組合に加入しにくかったことに鑑みて、改正されたものである。
エ 原告は一二月二六日農協労への再加入を決めるとともに他課長らに対しても加入を呼びかけることとし、第一、二次の各行為に及んだ。
(2) 以上認定の諸事実、殊に被告が原告を総務課長に任命し、その拒絶にもかかわらず辞令の受領を執拗に求めたこと、他方原告は右任命を直ちに受諾することなく、労組活動と両立し得るかを調査して両立が可能との判断に達してこれを受諾したこと、また右考慮期間中も受諾した後も分会長として労組活動を続けていたこと、ところが、被告から、総務課長職に就いた以上組合を脱退し労組活動も辞めるべきであり、そうしない場合には処分もあり得るとの態度を示され、また、右問題が波及して当時分会が抱えていた重要案件の解決が遅れるおそれが生じたため、とりあえず分会長を辞し、農協労から脱退することとし、原告の組合員資格や労組活動の可否に関する問題については農協労内部での討議に任せ、結論が出た段階で態度を決めることにしたこと、従って農協労からの脱退も再加入の含みを残したものであり、被告側にもその旨伝えたこと、その後農協労大会において課長も組合員となれるよう組合規約の改正が行われたこと、これを踏まえて原告は農協労への再加入を決め、他の役付職員に対しても加入を勧誘しようとして第一次行為に及んだという経緯に鑑みると、原告の右一連の行為に対し、著しく信義に反するとの非難を加えることは当たらないというべきである。
(四) よって、原告の第一次行為が総務課長としての職責に反し、また著しく信義に反するものとはいえないから、その放置が職場秩序を乱すものでもなく、従って総務課長職にある原告に対し、その労組活動を禁じた本件指示の正当性を主張する被告の所論は採用できない。それ故原告が右指示に従わず、第二次行為に及んだことを理由として懲戒処分に付することは、失当というべきである。
5 以上のとおりであって、結局本件出勤停止処分を科すにあたり、正当な理由なく上長の指示に従わなかったという懲戒処分該当事由があったことを認め難いから、抗弁は理由がない。
よって、本件出勤停止処分は、その余の判断に進むまでもなく無効というべきである。
三 訴えの利益について
本件出勤停止処分は、法律関係そのものとはいい難く、またそれ自体は過去の関係というべきであり、原則としてその無効の確認を求める訴えは許されない。
しかしながら、《証拠省略》によれば、右処分に関連して上司から再三呼出されて注意を受けたり、いわれなき中傷を受けたりしたことが認められ、これによれば、原告は労働契約関係におけるその地位や待遇の面で不利益を受け、また個人の名誉や感情を侵害されたものというべきであり、更に右処分によって、将来における昇給や昇格あるいは配転等の取り扱いにおいて、不利な影響を受ける可能性の存することは自明のことである。しかも右処分によって生起し、あるいは将来生起し得るこのような法律関係そのものについて、個々に確認の訴えを提起することが、その性質上困難かあるいは適当ではなく、むしろ端的にその前提となる処分の無効を確認することが、当事者間の現在の法律紛争解決のために有効であって、訴訟経済にも適うと考えられるのである。そしてかような本件の場合においては、出勤停止処分自体の無効確認を求める利益があるというべきである。
第二未払賃金請求権
原告が被告の職員であり、本件出勤停止処分によって、昭和五六年三月二〇日に支給されるべき賃金から同月一日から同月一〇日までの出勤停止期間中の相当賃金五万五三一〇円を減額されたという請求原因1、(二)、2、(二)の各事実は当事者間に争いがなく、右処分が無効であることは前記のとおりであるから、被告は原告に対し、右同額の金員を支払う義務がある。
第三不法行為
前判示のとおり、被告が原告に対し本件出勤停止処分を科したことは当事者間に争いがなく、また右処分が無効であることは第一で述べたとおりである。
そして、前記第一で認定した事実に《証拠省略》によれば、農協労は、被告に対し、課長を非組合員とする旨定めた本件和解協定中の当該部分を破棄する旨通知し、次いで使用者の利益代表者を組合員の範囲から除くとしていた組合規約を改正し右条項を削除したこと、組合規約の右改正についても被告は遅くとも本件出勤停止処分を科す前には知っていたこと、被告の総務課長にはいわゆる管理職としての仕事や権限が少なく、被告の利益代表者とは認め難いこと、原告が総務課長の辞令を受諾するまでには相当の時間を要したが、それは組合員としての立場と両立し得るかについて検討を要したことなどによること、農協労から脱退するについては将来における再加入の含みを残していたこと、しかも被告は右事情を知悉していたことなどが明らかである。これによれば、被告は、本件出勤停止処分が処分事由を欠くが故に無効であることを知り得た筈であり、従って右処分の発令については、少なくとも過失があったものと推認でき、そして右認定を覆すに足る的確な証拠はない。
《証拠省略》によれば、原告が本件出勤停止処分により相当程度の精神的苦痛を被ったことを認めることができ、しかも《証拠省略》によれば、被告の就業規則上出勤停止処分は解職処分に次ぐ重い懲戒処分であることが明らかである。もっとも、右精神的苦痛は、本訴において、右処分の無効であることを確認されることによって、ある程度慰撫されるものと考えられること、更に《証拠省略》から明らかなように、原告が熱心な組合活動家であり、農協労・分会においても重要な役職を歴任していることなどを勘案すると、原告の右精神的苦痛に対する慰謝料としては金一〇万円をもって相当と考える。
第四結論
以上の次第であるから、本件請求のうち、本件出勤停止処分の無効確認を求める部分並びに被告に対し未払賃金五万五三一〇円と慰謝料一〇万円及びこれらに対する賃金支払期日の翌日で、かつ右処分のなされた後である昭和五六年三月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において理由があるからこれを認容することとし、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用し、なお、仮執行の宣言についてはこれを付すことが適当でないから、右申立を却下することとして主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鈴木経夫 裁判官 小松一雄 播磨俊和)